2025年9月8日(水)

横浜市の港北区から川崎市麻生区に引っ越して来たのは、25年前の事でした。

25年もの時が流れ、この地もいよいよ10月から大開発されそうな気配です。

25年前、ここに両親との二世帯住宅とステンドグラスの店舗兼工房を建てることになったのは、友人のはからいと両親の協力とあまりにも奇遇な偶然が重なりあったことと言えましょう。

私たちは営業を兼ねて、百合ヶ丘で商売をしている友人の店へお邪魔をしていました。そんな時、話題が土地の話となり、私たちは懸命に今土地探しをしていることを話すと、先方はすぐさま昨日契約をキャンセルしたばかりだと言うことでした。お願いして、すぐにその場所に案内してもらいました。

そこは古家が建っていて国に差し押さえられた物件のようでした。通り沿いで、目の前はコープのスーパー、裏はゴルフの打ちっ放しで、新百合ケ丘の駅から徒歩11分、今まで探してきた一番良い条件でした。すでに順番待ちの人が4人、そこを自分たちを1番にしてほしいと不動産屋さんにお願いしてすぐに行動に移りました。

翌日のことです。両親の資金協力があれば可能でもあるし、70代に入っている両親の為にもそばにもいてあげられると思い、すぐに相談に行きました。父は了承しましたが、母は32年間住み慣れた土地を離れたく無いと反対しましたが、その後、何とか承諾してくれました。

1999年、建築設計に入りました。一度どんでんがえしがあり設計事務所を変え、建築図面を買取り、2,000年の8月には念願の3階建てビルが完成致しました。2階、3階を賃貸にし、ローン返済に回すことにしました。

条件的には問題がなさそうでしたが、ひとつだけ問題があり、百合ヶ丘の友人のネックになっていた点でもありました。私有地に囲まれ個人の駐車場が持てないという点でした。私たちは駐車場を借りてその場をしのごうということになりました。

あれからから25年が経ち、駐車場だった場所は9月一杯に退去するように勧告がきました。地価も年々上がり、我が家の裏にも、隣の駐車場にも大型マンションが建築されることが決定したようです。

そんな中、私もいつ何時どうなるか知れず元気な内に、我が家のステンドグラスの歴史を残しておこうと思い立ちました。